2016年1月15日金曜日

メキシコに蔓延る麻薬カルテルの王者ホアキン・グスマン・ロエラ(58才)=通称エル・チャポ、脱獄から再び逮捕

メキシコ麻薬カルテルの王、エル・チャポ逮捕。しかしその影響力は強い

2016年1月14日(木)9時21分配信



◆3度の収監、脱獄から再び逮捕

メキシコに蔓延る麻薬カルテルの王者ホアキン・グスマン・ロエラ(58才)=通称エル・チャポ=が1月10日に逮捕された。昨年7月11日に刑務所を脱走して失踪していた。彼は15年間で3度収監された人物だ。

エル・チャポは1980年代から麻薬の密売を始め、現在メキシコで最大の麻薬カルテル「シナロア」をイスマエル・サンバダ=通称マーヨ=と共同で仕切っている。32あるメキシコの州の半分にあたる17の州に密売組織を持ち、その内の5つの州を完全支配しているという。また米国市場をコントロールし、麻薬をカナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに送り、毎月2tのコカインと1万tの大麻を取り扱える能力を備えているという。大麻だけではない。メタンフェタミンやヘロインも生産し、メキシコを始め世界に流通させている。この組織の密売規模は30億ドル(3600億円)と言われている。(参照「El Pais」)。

米国の司法省によるとシナロアは毎月2tのコカインと10tの大麻を米国の1000以上の都市に流通させているという。米国財務省は米国で消費される麻薬の1/4はこのカルテルの密売によるものだと推測している。この密売で得た売上資金は世界10か国を対象に280種類のビジネスを通して洗浄されているという。

また米国の麻薬取締局(DEA)によると、シナロアが米国市場で活発な動きをしている背景には、DEAとシナロアとの間で取り引きがあったという。その内容とは他のカルテルの動きをシナロアはDEAに密告する。その代わりにシナロアの米国市場での密売に寛大さをもってDEAは対処するというものだ。この取り決めはメキシコがフォックス元大統領とカルデロン前大統領の政権時に行なわれたもので、両大統領の政権下でメキシコ国内においてもシナロアとは同様の取り決めをしていたという。

メキシコそして米国の麻薬取締局から蔭で支援を受けてシナロアは成長したのである。

◆自らの人生を映画化しようとした麻薬王

かくして、エル・チャポの名声は上がった。そして2014年に2回目の逮捕となった時に、彼は自ら歩んだ過程を本にまとめ、また映画化も試みたい気持ちになったようだ。彼自身の社会に与える悪人のイメージを一掃させたくなったらしい。

彼のこの願望を実現させる切っ掛けは2012年に既に生まれていた。メキシコのテレビのメロドラマ女優ケイト・デ・カスティーリョが「今日、エル・チャポ・グスマンの方が政府(の政治家)よりも信じられる」とツイッターに書いたのを彼が知ったのだ。彼女のツイートを知ったエル・チャポは、2014年に彼が刑務所に収監されていた時に、その望みを実現させるべく、彼女にそれを依頼することを考えたらしい。早速、彼の顧問弁護士が彼女に接触。そして本の著作と映画の作成を依頼したという。そして、彼が刑務所を脱走する時には、既にその報酬と撮影プログラムは双方で合意に至っていたという。(参照:「El Mundo」)。

エル・チャポが脱走してゴールド・トライアングルという三角形を形づくる広域の地域に彼が隠れているということは、彼の行方を捜査している当局では薄々想像していたという。何故なら、この地域では彼を裏切れば、彼からの報復があることを恐れて警察に密告する者は誰もいないとエル・チャポは知っていたからだ。しかし、彼を護衛するチームは女優カスティーリョとの数度にわたる会見を捜査当局が感知するのを警戒して、彼にその中断を求めたという。

しかし、彼は自分の夢を実現させたいという願望からそれを無視。前出の「El Mundo」の記事によれば、〈丁度その時期に彼女を通じてハリウッドスターのショーン・ペンとの7時間に及ぶ会見が実現した〉のである。〈雑誌「ローリング・ストーン」にそれを掲載する〉のが目的だった。

エル・チャポにとってはこの会見も彼の悪人としてのイメージを変えることに役立つと考えたようである。会見の中で彼が言った内容に次のような発言がある。

〈「麻薬は人を破壊するのは正解だ。しかし、お金を稼ぐにはそれしか選択肢はなかった」〉〈「麻薬が尽きることはない。何故なら、それを欲しがる人はこれからも増えて行くからだ」〉。

昨年10月にも捜査当局が彼を捕まえる寸前であったという。しかし、〈その時、彼は二人の女性とひとりの子どもと一緒にいた為に、彼等を負傷させてはいけないと判断して彼を捕まえることを断念した〉という。今回の彼の逮捕には海兵隊と連邦警察が参加した。

逮捕の報を知った米国政府は早速彼の米国への送還をメキシコ政府に要請したという。ペーニャ・ニエト大統領は米国政府の要請を直ぐに受け入れることは国民の前にメキシコ政府の弱みを見せることになるとして、それを容易に受け入れる姿勢はないであろうと推測されている。

カルデロン前大統領に仕えた安全保障担当専門家ゲレロ氏によると、〈米国からの圧力は相当に強い。しかし、少なくとも6か月はメキシコに留まることになるであろう〉と指摘している。そして同氏は〈ここで政治力が影響することになる〉という。ペーニャ・ニエト大統領は米国からの要請には〈カルデロン前大統領の時に比べ高慢だと米国側では受け止められている〉という。

米国からの要請を素直に受け入れないからである。しかし、米国からの執拗なる要請の前に〈昨年10月には危険性が高いとされる犯罪者を一度に13人も米国に送還した〉という出来事もあったという。(参照「El Pais」)。

今回のエル・チャポの逮捕でも、当初彼は手錠さえかけられなかったために、いろいろな憶測が飛んでいる。憶測はさておき、このことは彼の影響力があらゆるところに及んでいることの証に他ならないのだ。

<文/白石和幸>

しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。

参照元 : HARBOR BUSINESS Online


【閲覧注意】麻薬王エル・チャポの隠れ家で起きたシナロア・カルテルの悲劇! メキシコ海軍特殊部隊VS麻薬カルテル

2016.01.24

ホアキン・グスマン、イスマエル・サンバダ・ガルシア、フアン・ホセ・エスパラゴーサ・モレーノの3人を筆頭に、5人のリーダーにより1989年に結成された“メキシコ最大の犯罪組織”と言われる麻薬カルテル「シナロア・カルテル」。同組織を掌握し、最高幹部を務めるメキシコの“麻薬王”ことホアキン・グスマン、通称“エル・チャポ”が今月8日に逮捕された。

そもそもエル・チャポは投獄されていたのだが、去年7月、シャワー室の床下に掘った長さ約1.5キロの地下トンネルからオートバイで脱獄するという、映画顔負けの脱出劇を成功させていた。もはや再び捕まえるのは不可能かと思われていたが、脱獄から約半年、メキシコの北西部シナロア州で逮捕された。逮捕にあたったのは、アメリカとの共同作戦を進めていたメキシコの海軍特殊部隊。

「武装したやつらがいる」との通報を受け、海軍特殊部隊が駆けつけたところ、そこはエル・チャポを含めた「シナロア・カルテル」メンバーの潜伏先だった。

激しい銃撃戦の末、軍側は1人が負傷、メンバー6人を拘束し、5人をその場で殺害した。しかしエル・チャポはここでもしぶとく、抜け道を使い、マンホールから地下の下水トンネルを使って逃走。車を盗み郊外まで逃走を続けていたが、幹線道路で逃走車両を検知して追跡。郊外の安宿で、ようやくグスマンを拘束することに成功した。なお潜伏していた場所からは、自動小銃・手榴弾・装甲車など大量の重火器が発見されている。

現在、エル・チャポは脱獄を成功させた刑務所に再び収監され、今後アメリカへ身柄を引き渡される可能性もあるという。アメリカなどへの麻薬密輸で巨額の資産を築いた麻薬犯罪の象徴的存在(=エル・チャポ)をシカゴ当局は、「アル・カポネ以来、最大の社会の敵」とし、シカゴの凶悪犯罪指名手配リストのトップに指定していたのだ。

脱走したグスマンを拘束したことで、なんとか面目を保つことができたメキシコ政府。麻薬撲滅を掲げ、2012年にメキシコ大統領に就任したエンリケ・ペニャ・ニエト大統領はTwitter(@EPN)で、「ミッションコンプリート。ホアキン・グスマン(エル・チャポ)を拘束した」とつぶやいた。

だが、再び捕まえるのは不可能と上述した理由は、「シナロア・カルテル」メンバーだけでなく、彼を支えるサポーターがいるから。貧困層に仕事を与えたり、災害発生時には政府よりも早く救助活動を行うなど、彼を英雄視している国民も少なくない。以前捕まった際にも「チャポを解放せよ」「汚職政治家と違いチャポは我々に仕事を与えてくれた」などのプラカードを掲げたデモが起きた。はたしてメキシコ政府は、エル・チャポをアメリカに引き渡すのか? 引き渡しの際に、再び血が流れることがないように祈りたい。

(文=平正雄)

■隠れ家突入時の映像



■隠れ家から発見された重火器



■拘束された“エル・チャポ”ことホアキン・グスマン



(文=中川拓真)

参照元 : TOCANA


社会の敵ランキング1位・最凶の麻薬王エル・チャポの「大脱獄劇」! 彼の生き方、逃げ方、メキシコの闇(総まとめ)

2015.08.09

【10年以上南米で暮らすラウタ郎が選ぶ、驚愕南米ニュース】

7月、メキシコを始め、南北アメリカ大陸はこのニュースが連日大々的に報道された。それは「メキシコの麻薬王、再脱獄して現在も逃走中」という事件だ。

このインパクトがどれほどのものか、今ひとつ日本では実感しにくいだろうが、たとえば、オウム真理教の麻原が脱獄した、または山口組組長が脱獄した、……というレベルの衝撃を想像していただければ、あながち外れてはいないかもしれない。

しかし、この事件は単なる脱獄事件ではなく、長年アメリカ大陸が抱えてきたさまざまな闇を象徴する要素が盛り込まれており、現在の中南米とアメリカ、そして依然として各国に蔓延る麻薬と公務員汚職といった世相を理解するのに絶好の事件でもある。



■ホアキン・グスマン・ロレーラ、通称「エル・チャポ」 世界で最も影響力のある男

7月11日にメキシコでも最高レベルの警備を誇るアルティプラーノ刑務所から、全長1.6kmという大掛かりなトンネルを通って見事に脱獄を成し遂げた麻薬王ホアキン・グスマン、通称エル・チャポ(以後チャポ)とは何者なのか? 簡単にチャポのプロフィールをまとめてみよう。

本名:ホアキン・アルチバルド・グスマン・ロレーラ(Joaquin Archivaldo Guzman Loera)
通称:El Chapo エル・チャポ
1957年4月3日生まれ、メキシコ シナロア県バディラグアト出身
身長155cm、家族構成:不明(妻がこれまで計4名、子どもは計10名といわれる)

彼はメキシコ、アメリカをはじめ、中南米では知らない者はないというほど巨大な麻薬カルテル「シナロア・カルテル」のリーダーとして、過去20年に渡りメディアを賑わしていた人物である。

特に93年、当時麻薬王と呼ばれていたコロンビアの「メデジン・カルテル」のリーダー、パブロ・エスコバルが殺害され、チャポの率いる「シナロア・カルテル」がコカイン市場を掌握すると、一気に彼の名声は広がった。

そして近年ではフォーブス誌の「世界で最も影響力のある人物」リストに名を連ね、そしてインターポール(国際刑事警察機構)とアメリカ麻薬捜査局(DEA)がリスト化した「社会の敵ランキング1位」として全世界指名手配されるほどその悪名は轟いている。

ただでさえ近年のメキシコは、激化する麻薬カルテル間の抗争で、罪のない市民や、犯罪組織撲滅のために戦う弁護士や検察官が、彼ら麻薬カルテルの手によって残虐な形で処刑され、死体が町中に晒されるなど、ショッキングなニュースの震源地となっている。

その麻薬カルテルでも最大といわれる「シナロア・カルテル」のボス、チャポが捕まり、そして脱獄した。このチャポ脱獄劇のニュースは、連日各国の新聞やテレビで報道され、アメリカ大陸全土で大きな関心を呼んでいるのだ。

果たしてこれはどのような事件だったのだろうか……?

■チャポの生い立ち

チャポは1950年頃から大麻栽培で有名だったメキシコのシナロア県バディラグアトにて大麻農家を営む父エミリオの10人兄弟の4男として1957年(または1954年)に生まれる。

3人の兄はチャポが幼少の頃に他界し、チャポが2人の妹、3人の弟を率いる実質的な長男として家族の生計を支えていた。体つきは小さく、大人になっても身長155cmと小柄であったことから、あだ名は「チャポ」(ずんぐりむっくりという意味)と呼ばれることになる。

幼少時のチャポの生活についてはほとんど知られていないが、物心ついた頃にはオレンジ売りとして生計を助け、15歳の頃から利幅の大きいマリファナの栽培と販売を開始し、その後、近郊のクリアカン市で麻薬販売に手を染めることになっていった。



80年台には当時メキシコでも有数のコカイン密売組織のリーダーであったミゲル・フェリックスと共にコカインビジネスに進出。この組織は後に「グアダラハラ・カルテル」と呼ばれることになるが、89年にミゲル・フェリックスが逮捕されたことを機に、組織はミゲルの弟アレジャーノが後継者となり「ティファナ・カルテル」を。チャポは生まれ故郷のシナロアに戻り「シナロア・カルテル」を立ち上げる。

当時のチャポ本人の様子をメキシコ検察は、「大人しく礼儀正しい。小柄な体格に見合わず人を惹きつけるカリスマにも恵まれており、生まれた環境が違えば大企業の社長になるような器」であったと評しており、同時に彼のカルテル運営手腕を「非常に計算高く狡猾、そして慎重かつ大胆」であるとも評している。

そして、シナロア・カルテルは中米から北米に至る巨大なコカイン市場を手中に収め、中南米各国に計200社以上ものマネーロンダリング用のフロント企業を立ち上げ、アメリカ大陸最大の犯罪組織と発展していく。

■チャポ 最初の逮捕と脱獄

今回の脱獄事件よりもはるか昔、チャポは一度逮捕され、そして脱獄を成功させている。シナロア・カルテルを立ち上げたチャポは、袂を分かったフェリックス兄弟のティファナ・カルテルと激しい抗争を繰り返すが、1993年にチャポがグアテマラで逮捕されたことで状況は大きく変わる。95年に身柄をメキシコに移され、警備レベル最高クラスのプエンテ・グランデ刑務所に収監されるが、当時から新麻薬王としての影響力と財力を駆使し、刑務所内では特別扱いを受ける。

当時チャポの刑務所内での呼称は「ボス」「ドン・ホアキン」といった敬称であり、刑務所内で自由に携帯電話を使ったり、報道関係者向けの記者会見を行なったり……と、別格の扱いを受けていた。また、収監中に知り合った女性スレマ・エルナンデスと結婚し、子どもを何人か授かったと言われている。(たが、スレマは2008年に対立組織に殺害されている)

逮捕後8年がたった2001年1月18日、チャポは刑務所内に出入りする清掃業者のトラックに身を隠して脱獄に成功する。この際、チャポ以外にも71名が脱獄に加わっており、しかもそのうち15名は刑務所職員でチャポに抱き込まれた刑務官であった。

この脱獄に対してメキシコ政府はあらゆる手段でチャポとその関係者を追い詰める。特に、チャポの家族親族をターゲットとし、これまでのチャポの妻スレマをはじめ家族4名が警察・軍や対抗組織の手によって殺され、4名が逮捕されている。

さらに、メキシコ政府はチャポ逮捕の報奨金として3000万ペソ(約2億円 ※2012年当時)、アメリカ政府は700万ドル(約6億3千万円 ※2012年当時)の賞金まで用意した。

■チャポ再逮捕

2014年2月22日、シナロア県のマサトランで、メキシコ海兵隊の特殊チームによってチャポは逮捕された。この逮捕劇にはメキシコの警察・軍以外にも、アメリカのDEA(麻薬取締局)も連携していたという。また、アメリカ当局が導入した無人探索機がチャポの居場所の特定に使われるなどハイテクな作戦だったと報じられている。

当時チャポが潜伏していた隠れ家。



彼の隠れ家には多数の監視カメラが設置され、また、浴槽の下には屋敷の外に通じる隠し通路も掘られていた。このチャポ逮捕の報を受けたエンリケ・ペーニャ・ニエト大統領はすぐさま自身のツイッター(@EPN)でチャポの逮捕を報告、メキシコの司法と警察の麻薬カルテルに対する勝利宣言とした。

こうして、メキシコでも警備レベル最高クラスのアルティプラーノ刑務所に収監されたチャポだったが、ここでも特別扱いを受けることになる。収監中にもかかわらず現妻でミス・シナロア優勝者のエンマ・コロネル(26歳)をはじめ、彼の母や娘の長時間に渡る訪問を受けていたなど、その扱いは別格だった。




■再脱獄

そして2015年7月11日、チャポが再脱獄を決行する。

刑務所内監視カメラの映像によると、同日の夜20時52分頃、シャワー室の排水口部分に近づき身を屈めビデオカメラの死角に隠れたチャポが記録されている。その後看守が同房を巡回すると、既にチャポは脱獄用トンネルに消えた後だった。刑務所当局によれば、チャポが脱獄トンネルに消えてから18分後の23時に警報が発令されたと発表している。しかしながら、刑務所からチャポの脱獄に関する連絡がメキシコ陸軍、海兵隊に伝えられたのは、日付が変わった12日0時30分だった。トンネルの全長からチャポが脱獄を終えるまで2時間以上かかることを考えると、この初動の遅れが脱獄を許してしまった決定的な要因のひとつとして考えられており、現在もメキシコ国内外から強く非難されている。



チャポ逮捕時から再三に渡り身柄引き渡しをメキシコ政府に強く求めていたアメリカDEA特別チーム責任者のジャック・リレイ氏は、

「まさに恐れていたことが起こってしまった。脱獄の可能性を拭いされなかったので、米国はメキシコに一日も早い身柄の引き渡しを要求していたのだが……」と残念がり、 「チャポは過去にも脱獄しているのだから、今回の脱獄計画も予見できたはず。彼の身柄を同じ場所に長期間勾留しておくことは、メキシコの現状では難しいと考えている」とコメントしている。

また、DEAの報告書によると、チャポは同刑務所に収監された直後から今回の脱獄計画を練っていた可能性が高いと指摘している。

さらに、再逮捕後間もない2014年3月にDEAが作成したレポートでは「(チャポ)グスマンは早い段階でシナロア・カルテル、または同カルテルから資金援助を受けた系列カルテルによる脱獄作戦が計画されるであろう」と記しており、その作戦遂行に際しては「刑務所の幹部クラスが脅迫等で強制的に作戦に協力させられる可能性」を示唆。賄賂で抱き込んだ刑務官や別の囚人の面会のために刑務所を訪れる弁護士などを利用して、外部との連絡手段を確立していたともいわれている。

■脱獄用トンネルはどうやって掘ったのか?

この脱獄に使われたトンネルは、チャポが掘ったものではなく、彼の命令でシナロア・カルテルまたはその関連組織が掘ったと考えられている。同刑務所の囚人日課では、チャポは毎日1時間ほど独房の外に出ることが許されており、脱獄の打ち合わせやトンネルの位置確認などの準備も、この時間に買収した刑務官や訪問した弁護士などを通して手配していたと考えられる。

トンネルは、シャワー室から真下に10m続く縦穴から始まる。縦穴を下りきったところに、高さ1.7m、幅80cm、全長1.5kmの横に伸びる脱出用トンネルが用意されていた。

天井も壁も非常に強固に作られており、また地面には掘り起こした土砂を運び出すためのレールと、このレール上を走れるように改造された土砂運搬用バイクも見つかっている。トンネル内の排気にも塩ビパイプ製の換気用通風ダクトが天井に備え付けられており、照明器具も整っているという、素人の仕事とは考えられない、本格的なトンネルである。

このトンネルを調査したアメリカ国家保安局のジム・ディンキンス捜査官は「この規模のトンネルの建設には少なくとも18カ月~2年の時間が掛かるはずだが、ボスのために急ピッチで建設を成し遂げたのであろう。また、建設時の位置確認や騒音対策などさまざまな観点から、刑務所側の協力者がなくてはならない存在だ」と語る。

また、メキシコ・アメリカ国境に無数に存在する不法入国用の越境用トンネルを数多く操作してきたメキシコ・サンディエゴ警察の元捜査官ジョー・ガルシア氏は「これまで見てきたトンネルでは最長だ」と驚きを隠せない。

トンネルの様子を捉えた映像



トンネルの建設作業に関しては、アメリカ財務省がシナロア・カルテルのフロント企業としてマネーロンダリングに関わっているとする242企業のうち、メキシコ、スペイン、コロンビア、グアテマラなどに点在する建設業10社と鉱山会社1社が何らかの形で建設作業に協力した疑いがあると述べている。

そしてチャポは、このトンネルと通り、7月12日には姿を消したのだった。警察や軍の捜査は困難を極め、チャポの潜伏先がメキシコ国内なのか、それとも既に海外に脱出しているのかも不明な状況が続いている。

引き続きメキシコ当局、アメリカ当局はチャポの首に懸賞金を掛け、捜査の範囲をメキシコからインターポールを通じて全世界に広げているが、依然として足取りはつかめていない。

■地元の英雄

メキシコをはじめ、世界中で指名手配されるチャポだが、地元シナロアや近隣地域では一部住民からは英雄視されている一面もある。2014年にチャポが再逮捕された際には、数回に渡り1000人以上のチャポ支持者が、彼の釈放を求めてデモ行進を行い、警察と衝突して200名上の逮捕者を出すなど大きなニュースになった。



デモに参加した市民らは「チャポは貧しい人々を支援する組織を立ち上げてくれたり、私達市民の側に立っていろんなことを手伝ったりしてくれた」と公然とチャポを応援。Tシャツやキャップなどチャポの関連グッズも販売されていた。

シナロア県知事のマリオ・ロペス氏は「今回のデモの動員は、チャポの親族やカルテルが、参加者に現金や食料、酒を振る舞うなどして集めた見せかけの支持者だ」と語っているが、それを差し引いても地元民のチャポに対する信頼は思いのほかあつい。

さらに、シナロア・カルテルの支配力が弱まり、麻薬戦争やカルテル同士の抗争が激化することを恐れる住民がチャポを支持しているという側面もある。



■チャポ脱獄劇が浮き彫りにした社会問題

なぜチャポがこれほど大きい麻薬帝国を築き上げたか、そしてなぜチャポが二度に渡り逮捕・脱獄を繰り返したか。そしてなぜ未だにチャポは捕まえられないのか。

これらがこの事件の見る上で大きなポイントとなる。

今回の脱獄で面目を大きく傷つけられたのは、メキシコ政府、特にメキシコ大統領エンリケ・ペーニャ・ニエト氏であることは間違いない。逮捕時に自身のツイッターで高らかに勝利宣言し、アメリカの身柄引き渡し要望を拒否して国内最高レベルの刑務所に収監したものの、僅か1年半で見事に脱獄を許してしまうという大失態を見せてしまった。

そしてこの脱獄劇に加担した刑務官、刑務所幹部、警察、軍幹部や政治家など、メキシコ内部の腐敗がどこまで及んでいるのかも把握できない状況だ。

また、チャポが逃走で身を隠している間に、新興の麻薬カルテル間の抗争はより激化し、ある意味で統率が取れていた麻薬密輸ビジネスが再び群雄割拠の混乱状態に陥る危険性も高まっている。

つまり、チャポの再脱獄が浮かび上がらせたのは、単なるメキシコ刑務所の警備上の問題ではなく、国としての危機管理体制、治安を守る警察や軍、司法の独立性が危ぶまれているという状況であり、そしてアメリカにとっては流入を食い止める手段もないコカインビジネスのカオス化、南米にとってはコカイン原料のコカの葉生産と精製ビジネスの再構築、といった幅広い影響が予想される。

はたして、チャポが捕まることで事態は解決するのか。それともより混乱するのか。

(文=ラウタ郎)

参照元 : TOCANA


麻薬、石油強奪、誘拐、殺人。軍隊顔負けの組織力で、悪逆非道の限りを尽くすメキシコ­のカルテル。その組織的犯罪は年々多様化し、周辺社会を恐怖の渦に巻き込んでいる。ア­メリカ合衆国と境を接するレイノサでも、最狂、とうたわれるカルテル、ロス・セタスに­迫る。悪逆非道はどこまでエスカレートするのか、シリーズ全3回。

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